サン・クレメンテ教会 3


右側の側廊脇の聖具室から地下1階の4世紀の教会の跡へと下りていくことができます。

キリスト教の非公認時代に、信者たちは集会や礼拝には富裕な民家の一部を改造した建物をひっそりと使っていました。このような建物には玄関先につけた大理石のプレートに所有者の名前が書かれていたためティトゥルス(名義教会)と呼ばれており、4世紀のはじめのローマには25のティトゥルスがあったそうです。

このようなティトゥルスの一つ、フラヴィア・クレメンテ家の屋敷のティトゥルス・クレメンティスの跡地に、4世紀後半の教皇シリチウスが1世紀後半の第4代教皇クレメンテ1世に捧げるために建てたのがこの地下1階の教会です。

 

教会は三廊式のバジリカ様式で、身廊などの壁には、聖クレメンテに関するさまざまなエピソードを題材にしたフレスコ画が描かれています。

聖クレメンテは聖ペテロと聖パウロの直弟子で、1世紀後半のトラヤヌス帝時代にクリミアに流され、鉱山で強制労働につかされました。そこには真水がなかったために多くの労働者たちが死に瀕していたところ、クレメンテの祈りが通じて真水が噴出すという奇跡が起こりました。

こうしてキリスト教の宣教があまりにも成功したために、彼はローマ兵に捕らえられ、首に碇を巻きつけられて黒海に沈められてしまいました。

   
その後、天使たちがクレメンテの遺体をある小島に埋葬し、その墓のある小島は1年に1度、奇跡的な引き潮によって人々の目の前に現れたということです。

ある年の引き潮の直後に、1人の子供が戻ってきた潮にさらわれてしまったのですが、1年後の引き潮で再び墓が浮上してきた時に、その子供が元気な姿で見つかった、という伝説もあります。

この11世紀のフレスコ画はその「アゾフ海の奇跡」を描いたものです。

 
中央広間には「キリストの昇天」を題材にした8世紀のフレスコ画があります。

アーモンド形の繭につつまれたキリストが天使たちによって上方へ運ばれているのを弟子たちが呆然と見上げています。
向かって右端には聖ヴィートが、左端には教皇レオ4世が描かれていますが、レオ4世の光背が四角いことから、このフレスコ画が彼の存命中に描かれたものであることがわかります。

 

 

これは聖アレッシオのエピソードを描いた11世紀のフレスコ画です。

聖アレッシオについては「アヴェンティーノの丘散策・1」のサンティ・ボニファーチオ・エ・アレッシオ教会のところで説明しています。

カトリックではいろいろな職業にそれぞれの守護聖人がいますが、聖アレッシオはなんと乞食の守護聖人なんだそうです。

   

11世紀のフレスコ画「ミサ」。

貴族のシシニウスはキリスト教徒になった妻のテオドラがクレメンテのミサに参加しているのを快く思わなかったのですが、クレメンテとテオドラの祈りによりキリスト教に改宗し、最終的には信仰のために殉教したのでした。

中央がミサを立てる聖クレメンテ、右側にはシシニウスやテオドラ、左側にはフレスコ画を寄贈したラピッツァ家の人々が描かれています。

   

「サン・クレメンテ教会 4」

   

「サン・クレメンテ教会 2」

   

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