サン・ピエトロ大聖堂 2


大聖堂の中で人々の信仰を集めている聖ペテロの像。イエスの跡を継ぎ、天国の鍵を受け取ったとされる使徒です。
この像は長い間13世紀のアルノルフォ・ディ・カンビオの作とされてきましたが、最近の説では4世紀のシリアの無名の作家によって作られたものということです。ということは、すごく古い!
聖ペテロの祝日である6月29日にはこの像の上に教皇の3重冠が被せられるそうです。

この像の足元には礼拝する人が絶えません。祈ったり、像の足に口づけしたり。
   

 

ベルニーニの作ったものすごく大きなブロンズの天蓋付きの祭壇が、クーポラの真下におかれています。(上左)。この天蓋は、パンテオンの屋根のブロンズをはがして鋳直して造ったものです。
その下には聖ペテロが埋葬されているのです。
   
ベルニーニ作、アレクサンデル7世の墓。
大理石のカーテンが上がってその向こうに扉があるような錯覚を覚えるような装飾がなされています。

こういう舞台効果を狙った構成はベルニーニの十八番でした。確かに面白いんだけれど、ここまで多用されるとちょっとしつこい。「ここは遊園地じゃなくて教会なんでしょ」と言いたくなります。

   

大聖堂の地下には、教皇たちの墓所があります。

これは主祭壇の下にある聖ペテロの墓所。
これは伝説ではなく、実際にこの場所から、1世紀頃の大柄な60歳くらいの男性の遺骨が発見され、これが聖ペテロの骨である可能性が極めて高いということです。
   
これは有名な教皇ボニファティウス8世の棺。1294年から1303年まで在位しました。
学問に興味があり、ジョットなどのパトロンとなったり、ローマ大学を作ったり、一族の利益を追求したり、極めて傲慢だったりと、ルネサンス型教皇の先駆けのような人でした。

この教皇が1300年に大聖年を制定し、免罪符を売りまくってボロもうけをしました。商売人ですね。あまり信仰心がなかったような発言も多々あるようで、ダンテは『神曲』の中で地獄に落としています。

フィレンツェの大聖堂の旧ファサードにあったアルノルフォ・ディ・カンビオ作の像が有名です。(この像は、現在はフィレンツェの大聖堂附属美術館にあります。)

   

同じく地下墓所にあるレリーフ。イエス・キリストの洗礼の様子です。

昔の洗礼はこのように全身を桶に沈めて行いました。

   

さて、時は流れ、これは2005年8月のある日の地下墓所の様子です。普段は静かなクリプタの中とは思えないほどの長蛇の列。その先にあるのは・・・。(上の2枚の写真提供:稲穂さん)

2005年4月2日に帰天された教皇ヨハネ・パウロ2世のお墓です。歴代教皇たちの豪華なお墓に比べるととてもシンプルですが、墓石の上にひっそりと手向けられた一輪の花と灯されたローソクはきっと絶えることはないのでしょう。人々に愛された前教皇の人柄がしのばれます。
   
サン・ピエトロ大聖堂を全部紹介しようとすれば、百科事典並みの厚みになってしまうでしょう。ここでの紹介はこれぐらいにしておきます。
この教会はローマに行けば必ず立ち寄るのですが、そのたびに新しい発見があります。
例えば今回は紹介しませんでしたが、クーポラの上にのぼるのもまた一興です。眺めもいいし、クーポラの内部を見られるのも興味深い。(落書きだらけだったけど)

みなさんもご自分のサン・ピエトロ大聖堂を是非見つけてください。
   

「サン・ピエトロ大聖堂 1」

   

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