パンテオン


パンテオンは初代ローマ皇帝アウグストゥスの養子のマルクス・アグリッパによって、紀元前27年ごろに「全ての神々の神殿」として建てられました。現存しているのはその後の紀元80年の火災で焼失したものをハドリアヌス帝が建て直したものです。

7世紀に教皇ボニファティウス4世が聖母マリアと殉教者たちに捧げる教会へと変えました。その時に教皇はカタコンベからたくさんの殉教者たちの遺骨をこの建物へと運ばせ、大がかりな献堂式を行ったそうです。

屋根にはブロンズが鍍金されていましたが、バロックの教皇ウルバヌス8世がはがさせました。それを鋳造し直したのが、サン・ピエトロ大聖堂にベルニーニが造ったバルダッキーノ(天蓋)なのです。
こんなところでもバロック時代の芸術家は貴重な古代の建築からの資材の持ち出しをやっていたのです。
当時のローマ市民たちも「バルバリ(蛮族)もやらなかったことをバルベリーニ(教皇ウルバヌス8世)がやった」と批判しました。

このようにカトリック教会の建物に転用されたために、パンテオンはほぼ古代ローマ時代そのままの形で現存することができたのです。

 

内部は平面プランの円の直径とドームの高さがともに43.3m、つまり完全な球体になっています。ドームの中央には丸窓が開いていて、その天窓の直径は9mもあるのですが、床から見上げるととてもそんなに大きな窓には思えません。
大理石の床は19世紀末にローマ時代のデザインをそのまま残して修復されました。

中にはラファエロをはじめ、バルダッサーレ・ペルッツィ、タッデオ・ズッカリなどの芸術家のほか、統一イタリアの初代国王・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世やウンベルト1世夫妻の墓などもあります。

   

ライトアップされたパンテオン。このあたりは細い路地が入り組んでいますが、それらの路地を抜けてロトンダ広場の向こうにパンテオンを見たときにはいつも楽しい驚きがあります。

16、17世紀には外国からの旅行者向けの宿屋が立ち並んでいたそうで、周辺には今でもこぢんまりとしたホテルやリストランテが何軒もあります。(ロトンダ広場にはマックもあったけど。)

ここからナヴォーナ広場へと抜ける地区はまさにヴェッキア・ローマ(古いローマ)の風情の残る、管理人の大好きなところです。
それに何と言っても7泊中3回も夕食に通ってしまったほどのとあるリストランテの味は、パンテオンの夜景とともに忘れられないローマの思い出となっています。

閑話休題。同行者はパンテオン内部のベンチではしゃいでいて、思い切り頭を壁にぶつけました。
「ぽく」という音がしてその後、絶句していました。大理石で頭を打つのって痛そう〜。

   

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