サン・ピエトロ大聖堂 1


写真はコンツィリアツィオーネ通りからみたサン・ピエトロ大聖堂。この大聖堂を眺めるには、実はあまり近づかない方がいいのです。近づくと、そのあまりに大きなファサードによってドームが隠されてしまい、良い眺めではありません。(写真右)

ドームはミケランジェロ設計、教会内部の装飾はベルニーニが主に関与しています。

昔はこのような大通りはなく、もっと狭い路地がひしめいていました。巡礼者が路地を抜けるといきなり大聖堂前の広場に出て驚愕する、という極めてバロック的な演出に満ちた場所だったのです。
しかしながらムッソリーニの時代に、1950年の聖年の準備としてこのような大通りが造られてしまいました。したがって、残念ながらこの辺りは風情のかけらもなくなってしまったのです。
   

2000年は「大聖年」の年。サン・ピエトロ大聖堂の「聖なる扉」も開いています。この「聖なる扉」(Porta Santa)はローマの4大聖堂(サン・ピエトロ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ、サンタ・マリア・マッジョーレ、サン・パウロ・フォリ・レ・ムーラ)にあり、25年に一度「聖年」の年に開きます。これを全部くぐると罪の償いが許される、免償されるのです。

管理人も何の罪があるんだか知らないけれど、くぐっておくことにします。(後で聞いたところによると、異教徒には効果がないそうです・・・・)

後で知ったのですが、この扉は1950年の聖年祭のためスイスのカトリック信徒達が寄贈したものだそうです。

・・・なんだ、おもいきり新しいものだったんですねぇ。

   
ここは言わずと知れたカトリックの総本山。

イエスの教えを受け継いだ聖ペテロの墓所の上に立てられた世界最大の教会です。管理人はペテロの墓なんて伝説に決まってると思っていたのですが、どうも本当にそういうものがあるということが証明されつつあるらしいです。

内部はとにかく広い! 色大理石をふんだんに使ってバロック的な装飾に満ちています。天蓋付きの主祭壇やペテロの椅子などがあります。

入って右側すぐの側廊にミケランジェロの「ピエタ」が置かれています。周りのものがあまりに大きいので、こじんまりとした彫像に見えてしまいます。もちろんその前は人の山。

   

内部の装飾は主にベルニーニによっています。
彼は教皇ウルバヌス8世の大のお気に入りで、主祭壇やたくさんの装飾的彫像を手がけています。
さらにこのコンビはローマの街全体にもバロック的記念碑を多数造り、ローマを「バロックの街」に変えてしまいました。

それにしても以前管理人が見たときよりも全体に「白い!!」
これはここだけでなくローマの街全体に言えることなのですが、大聖年にむけて街中で塵を落としたのでしょうか。

   
教会内部にいくつもある教皇の墓碑の一つ。

インノケンティウス12世の墓。1691年から1701年まで教皇を務めました。貧者の世話をする慈善団体をいくつも設立。それまで教皇庁にはびこっていた縁故主義を一掃した偉人です。

このような傑出した人物はやはり目立つところに葬られて、死後も称えられ続けます。

写真右の女神は天秤を捧げ持っています。これは「善と悪」の審判を意味しています。

   

「サン・ピエトロ大聖堂 2」

   

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