サンタ・プラッセーデ教会 1


サンタ・マリア・マッジョーレ教会からすぐのところにある三廊式の小さな教会、それがサンタ・プラッセーデ教会です。
普通はまず教会の外観を見ていただくのですが、なぜかこの教会はその写真が一枚もないし、ファサードなどの外観の記憶も全くないのです。なんか横の門みたいなところから入ったことだけは覚えています。それもそのはず、その時ちゃおちゃおは一刻も早く中が見たくてウズウズしていたのです。

この教会は、1世紀に聖ペトロを泊めた元老院議員のプデンテの娘・聖女プラッセーデのために、9世紀の教皇パスカリス1世によって創建されました。
聖女プラッセーデは聖女プデンツィアーナの姉妹で、伝説によれば迫害されたキリスト教徒に手を差し伸べ、その後二人とも殉死したということですが、これはあくまでも伝説にすぎず、二人の聖女は実在しなかったとされています。(サンタ・プデンツィアーナ教会を参照)

ここの特徴はなんといってもそのすばらしいモザイク装飾の数々です。
8、9世紀のビザンチン帝国では聖画像破壊運動(イコノクラスモ)が押し進められていましたが、それ以前の東方のモザイク芸術の伝統がここローマで生き続けていたことがよくわかります。

   

教会には9世紀の創建当時に描かれたアーチ状のモザイク「勝利の門」があります。
金色の壁で囲まれ、天使に守られた聖なる都市エルサレムを表しています。中央に本を持ったキリストが立ち、左側に聖母マリア、使徒ヨハネ、洗礼者ヨハネ、聖パウロと5人の使徒たち、右側には聖プラッセーデ、聖ペトロ、5人の使徒たちが並んでいます。さらに一番左の上には預言者モーゼ、右の上には預言者エレミアがいます。

   

後陣を囲むアーチには、中央に玉座に座る神の象徴である子羊、小アジアの7つの教会を象徴する7本の燭台、4福音書記者を象徴する4人の天使、その下には左右12人ずつ合計24人の長老たちが花束の王冠をキリストに献上しようとしています。
   

後陣は天上の世界を表し、キリストの頭上には神の象徴である手があります。(写真上参照)
巻物を持つキリストの左側には聖パウロ、聖女プラッセーデ、教会を持つ教皇パスカリス1世が描かれています。ちなみにパスカリス1世の光背はほかの聖者たちと違って丸くなく角型ですが、これは「当時は生存中」ということを表すそうです。

キリストの右側に描かれているのは、聖ペテロ、聖女プデンツィアーナ、4世紀のヴェローナの司教・聖ゼノです。

   
主祭壇の下には見るからに古い「聖女プラッセーデと聖女プデンツィアーナの石棺」がありましたが、この2人は実在していなかったのなら、一体誰の棺なのでしょうか?

   

身廊の床はコスマーティ様式ですが、入り口に一番近いところには、聖女プラッセーデが投げ込まれて殉教したと言われている井戸の位置を示す斑岩のプレートがあります。(写真中央のひときわ大きな円形の部分)
しかし、これも聖女プラッセーデが実在しなかったのなら、ただの井戸の跡、ということになっちゃうんですけど。
 
サンタ・プラッセーデ教会は、ローマで最も強く推奨する見学ポイントの一つです。
ご覧いただいたようにすばらしいモザイクが後陣を埋め尽くしています。

だがしかし!この教会の最大の見どころはまだ別にあるのです。是非「サンタ・プラッセーデ2」をご覧ください。

   

「サンタ・プラッセーデ教会 2」

   

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