ヴァチカン美術館 3


やってきました、「署名の間」。というよりも「ラファエロの間」といった方が有名ですね。

これは「パルナッソス山」。音楽と詩に関係する人物による「美」の寓意画だそうです。ダンテやペトラルカらしき人物も見受けられます。

この部屋の絵画も修復が完了していて、10年以上前にヴァチカンで購入してきた解説書と見比べると、一人一人の人物の輪郭が明瞭になり、色彩もとても鮮やかになっていることがよくわかります。

   
「ヘリオドロスの間」の「ボルセーナでのミサ」。
1263年にボルセーナでミサの途中で聖体から血が流れているのを目撃したという奇跡を描いています。

右側にひざまずいている人物は、ラファエロのパトロンのユリウス2世をモデルにしています。

   

 

今さら語るまでもない「アテネの学堂」です。プラトンがレオナルド、アリストテレスがミケランジェロをモデルにしているというのは有名ですね。そのほかにもブラマンテ、ラファエロの自画像など、当時の芸術家、政治家などの有名人がたくさん描かれています。どれが誰をモデルにしたのかは、美術書などに必ず書かれていますので、そちらでご確認ください。

ところで管理人が以前から気になっていたのは、画面真ん中からちょっと左よりの長髪・白衣のカメラ目線のこの方。この人はこれ以外にもラファエロの間に何体も描かれています。一体全体どこの誰?そもそもこれは美女?それとも男性なのでしょうか?

以前買った解説書によるとフランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレ氏とのこと。なんだ、美男だったのか。デッラ・ローヴェレといえばシクトゥス4世やユリウス2世の家系ですね。
そこでこの時代のことに関して詳しいO-callさんにおうかがいしたところ、ウルビーノ公を継いだ人だそうです。ウルビーノ公国はグイドバルド・ダ・モンテフェルトロに後継ぎがおらず、娘の婿にデッラ・ローヴェレ家の人間を迎えて、それ以後、公国の継承権はデッラ・ローヴェレ家が持っていました。そして養子になったのがこのフランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレ。
奥さんはイザベラ・デステの娘、エレオノーラ・デステだそうですが、梅毒を奥さんにうつしたとか・・・。
やっぱり美しい人にはそれなりの過去があったということですね。

   

   

 

これらの絵を見て「おっ」と思われた方は相当ボルジアが入っていますね〜。ここまで来る人はほとんどいなくて、ラファエロの間からシスティーナ礼拝堂に直行するのが一般的なルートです。

ここは教皇アレッサンドロ6世の一族が住居にしていた「ボルジアの間」です。
と言っても部屋自体は現代宗教芸術の展示コーナーになっていて、風情も何もありません。
しかし、天井を埋め尽くすピントリッキオ作のフレスコ画は金と深い青が印象的で圧巻です。

上の絵は「聖女カテリーナと皇帝マクシミヌスの論議」というテーマなのですが、中央やや右よりの聖女カテリーナはアレッサンドロ6世の娘、ルクレツィア・ボルジアがモデルだと言われています。

左の絵は同じくピントリッキオの「スザンナと老人」。

実は「ボルジアの間」はたくさんの部屋があるのですが、この第5室「諸聖人の間」から先は立入禁止で涙を飲みました。
隣の部屋から身を乗り出して必死で撮ったのがこれらの絵です。
だから近くから撮れなくてちょっと残念。

下は同じく「ボルジアの間」の中の一つ、「自由七学芸の間」の「音楽」の寓意画です。
七学芸とは文法、弁証法、修辞学、算術、幾何学、音楽、天文学を指します。
絵の上部にはボルジア家の紋章の雄牛が見えますね。

 

「ヴァチカン美術館 4」

   

「ヴァチカン美術館 2」

   

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