ヴァチカン美術館 2


タペストリーのギャラリー。

教皇レオ10世時代の、ラファエロとその弟子たちによるペテロとパウロの物語がテーマの下絵をもとにしたブリュッセル産のタペストリーと、クレメンス7世時代の、福音書の物語をテーマにしたフランドル製のタペストリーが飾られています。
これらはシスティーナ礼拝堂の下部壁面にかけるために制作されました。

   

地図のギャラリー。
壁には天文学者イニャーツィオ・ダンティの下絵に基づいた40点の地図がフレスコ画で描かれています。

ここも過去2回のヴァチカン訪問の時には、後ろ髪を引かれつつも早足で駆け抜けるしかなかった場所です。今回はたっぷり時間をとっていたので、ゆっくりと知っている都市の地図を探して歩きました。
これらの地図はかなり細かく、当時の都市や周辺の村名まで記してあり、自分の出身地を探し当てては「あ、あった、あった。」などと喜んでいるイタリア人観光客の姿も見かけました。それも基本的には独立した都市国家の集まりで、この地図が描かれた頃とほとんど変わっていない、というイタリアならではのことです。

   

左は現代イタリアの図。現代と言ってもこのギャラリーのできた16世紀の末頃です。

右はギャラリーの天井のストゥッコとフレスコ画。びっしりと装飾されています。マニエリズムの典型で、1583年に完成しました。一つ一つの柄、絵にも何か意味があるのでしょうが、いちいち鑑賞していたら一生かかりそうです。

   
  コンスタンティヌスの間。
「コンスタンティヌス帝の洗礼」「ミルヴィオ橋の戦い」「十字架の出現」「皇帝の教会への寄進」の壁画が部屋の4面を飾っています。
ラファエロの死後にジュリオ・ロマーノなどの弟子たちがラファエロの構想をもとに描いたのもです。
   

「ミルヴィオ橋の戦い」。
コンスタンティヌスはローマ近郊のミルヴィオ橋での戦いで、突如、天に浮かぶ十字架と「これによって征服せよ」という文字を見て、十字架の旗印のもとに宿敵マクセンティウスを破った、と言われています。

この勝利により、コンスタンティヌス自身がキリスト教に改宗、313年には「ミラノ勅令」でキリスト教徒に特権を認めました。
ローマ帝国による長いキリスト教迫害の歴史はここに終わり、キリスト教徒たちはこの後、帝国内で組織力を強めていくことになったのです。

このモチーフはローマ帝国がキリスト教化された後、好んで描かれたようで、あちこちで見ることができます。
 

「ヴァチカン美術館 3」

   

「ヴァチカン美術館 1」

   

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