フォロ・ロマーノ 2


セプティミウス・セヴェルス帝の凱旋門。
203年にセヴェルス帝の即位10年を祝って建てられました。レリーフには帝が2回に渡って行ったメソポタミア地方のパルティアとアラビアへの遠征の勝利の模様が描かれています。

この凱旋門は、中世には地中に埋もれていたためにフォロ・ロマーノで最も保存状態のいい建造物で、19世紀の発掘によって掘りおこされました。

   

再訪した春先のフォロ。
強い紫外線のもと、早くも野草が咲き乱れ、空にはヒバリが飛び交う・・・。まさに「つわものどもが夢の後」を実感しつつ、遺跡の間を歩くのもまたオツなもの。
   
凱旋門の左脇後方にある「ローマのへそ」と呼ばれる煉瓦製の遺跡。

なにやら円柱形なのですが、一体どのような用途の遺跡だったのか、見た限りではさっぱりわからなかったちゃおちゃおです。

 

これはカンピドーリオの丘の突き当たりに見えるパラッツォ・セナトリオ、つまり現在のローマ市庁舎の裏側です。
12世紀頃から元老院が使ってきたのですが、実はこの建物は紀元前78年にできあがったタブラリウム(文書館)の遺跡の上に建っていたのです。
文字通り2000年間に渡ってローマの中心だったのかと思うと、なんだかくらくらしてきそう。
   
イオニア式の8本の柱はサトゥルヌスの神殿の跡。
紀元前497年にサトゥルヌス神に捧げられて建てられましたが、何度もの再建を経て、現在残っているこれらの柱は283年のものです。

写真右のコリント式の3本の柱はヴェスパシアヌスの神殿の跡です。
ドミティアヌス帝によって、父のヴェスパシアヌス帝と兄のティトゥス帝に捧げるために81年に建設されました。 

   
これは「金のマイル表示石」。

帝国内の幹線道路の起点を示すためにアウグストゥス帝が作らせたもので、いわばお江戸日本橋の東海道の始点のようなもの?

かつてはローマと他の主要都市との距離が金文字で書かれていたそうです。「すべての道はローマに通ず」とはここに通じるということだったのです。

   
コリント式の3本の円柱はユピテル神の息子であり、騎手の守護神である双子の神カストルとポルックスに捧げられ、最初に484年に完成した神殿の跡です。

この神殿も何度も再建され、現存している柱は1世紀初頭にティベリウス帝が建て直したものです。

   

カストルとポルックスの神殿跡の後方のパラティーノの丘。
かつてはローマの有力貴族や権力者たちの豪壮な邸宅が立ち並んでいたところです。
   

「フォロ・ロマーノ 3」

   

「フォロ・ロマーノ 1」

   
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