フォロ・ロマーノ 1


ローマの旧市街の中心地・ヴェネツィア広場の奥にそびえ立つ白亜のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。1870年のイタリア統一を記念して19世紀末〜20世紀初頭に造られたこの建物は、近代から現代にかけてのローマを象徴するモニュメントです。

そしてその記念堂の左側に回り込むと、すぐに目に飛び込んでくるのがこの古代遺跡群です。
これは「諸皇帝たちのフォロ」の意を持つフォーリ・インペリアーリの一部で、紀元前50年前後に造られた「カエサルのフォロ」です。カエサルの祖先とされる女神ヴェヌスに捧げられた神殿には、ヴェヌスの像とともにカエサルとクレオパトラの像が飾られていたそうですが、現在ではご覧の通り、基台と3本のコリント式円柱が残っているのみです。
ムッソリーニが造ったフォーリ・インペリアーリ大通りを隔てて、カエサルのフォロの向かい側には、トラヤヌス帝のフォロがあります。

通りの角を1つ曲がると一気に2000年近くのタイムスリップができるところは、さすがローマです。

 

フォーリ・インペリアーリ大通りをコロッセオの方に向かって進んでいくと、いよいよフォロ・ロマーノが見えてきます。

「フォロ」とは英語の「フォーラム」で、「都市広場」のことです。ここはもともとはカピトリーノ、パラティーノ、クィリナーレという3つの丘に囲まれた低湿地だったところを、紀元前6世紀に大下水道クロアカ・マクシマが整備されたことによって利用できるようになりました。そして、共和制・帝政時代を通して古代ローマの政治・経済・司法の中心地でした。

しかし、ローマ帝国の滅亡とともにローマ神殿がキリスト教会に改築されたり、大地震・洪水などの自然災害を受けたりして、フォロ・ロマーノの崩壊がどんどん進みました。中世期以降には残った遺跡は建築資材として持ち去られ、洪水のたびに土砂が堆積し、カンポ・ヴァッチーノ(「雌牛の野」)と呼ばれる家畜の放牧場になってしまいました。やがて19世紀に本格的発掘が行われるようになるまでは、すっかり人々に忘れ去られていたのです。

   

141年に建設されたアントニヌスとファウスティーナの神殿は、7、8世紀頃にサン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会として改修されました。

現在のファサードは17世紀のバロックのものですが、神殿の柱廊がそのまま組み込まれているので、とても不思議な景観です。

   
ここはユリウス・カエサルが火葬にふされたところ。いまだに花が供えてあるところから、カエサルの人気がうかがえます。

   

フォロ・ロマーノ中央部付近から西側を望む。
真っ正面の建物はカンピドーリオの丘の現ローマ市庁舎の裏側、右奥の白い建物がヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の裏側となっています。
手前、ちょうど写真中央付近の白い円柱は東ローマ帝国皇帝フォカスの記念円柱で、かつては先端部にフォカス帝の像が乗せられていました。これは608年に完成したフォロ・ロマーノの中では最も新しい建造物です。

右手に見えるのはセプティミウス・セヴェルス帝の凱旋門。

   

クーリア(元老院)の内部です。トラヤヌス帝が制作させた2枚のレリーフのうち、帝が母子に接見する場面を描いたものと思われます。

最初のクーリアは紀元前52年に焼失し、カエサルが再建しました。その後何度かの再建を経て、現在あるのは303年にディオクレティアヌス帝が再建したものを20世紀に復元したものです。

   

クーリアの前に何やら穴が。
ここはニジェール・ラピスといい、伝説によるとローマの創建者、ロムルスの墓とも言われている、フォロでも最古の遺跡だそうです。
地下には祭壇などもあるようですが、現在は立入禁止の様子。
   

「フォロ・ロマーノ 2」

   

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