フォロ・ロマーノ 3 |
市庁舎下付近からフォロ・ロマーノの東側を望む。 手前の円柱の根本付近ばかりが残っているのはユリウスのバジリカ。 中央に見える12世紀のロマネスクの鐘楼つきの教会は、サンタ・フランチェスカ・ロマーナ教会。 そして遥か彼方にはコロッセオの姿が。 |
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フォロのあるところはカンピドーリオ、パラティーノ、クィリナーレの3つの丘に囲まれた湿地帯だったため、大下水道(クロアーカ・マクシマ)を整備してテヴェレ川へ排水できるようにしたことにより、利用できる土地になったそうです。 このクロアーカ・マクシマは現在も生きているようで、周囲にはドブ臭いにおいがただよっていました。 |
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ロムルスの神殿跡と言われていますが、実際のところはこの神殿は誰に捧げられたものなのかは定かではないようです。 この神殿跡とフォロ・デッラ・パーチェの図書館の跡を利用して、527年にサンティ・コズマ・エ・ダミアーノ教会が建てられました。 |
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煉瓦積みの建物は一体どうなっているのかと思っていたら、どうやら交互に煉瓦を積み、表面は平らに横一列にならしてあるようです。(要領を得ない説明ですが、おわかりいただけますでしょうか?) 春には野生の藤の花が遺跡に絡んでいました。 |
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コンスタンティヌスとマクセンティウスのバジリカ。 4世紀初頭にマクセンティウス帝が建設に着手し、312年のミルヴィオ橋の戦いでマクセンティウスが戦死した後、大帝コンスタンティヌスが完成しました。 3つのヴォールト天井が残るこの遺構は、フォロ・ロマーノ最大のもので、この中にコンスタンティヌスの巨像が置かれていました。(現在その一部はコンセルヴァトーリ宮の中庭で見られます。) |
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ティトゥスの凱旋門。 ドミティアヌス帝が父ヴェスパシアヌスと兄ティトゥスの紀元70年のユダヤでの戦勝を祝って81年に建てたものです。 レリーフにはエルサレムのソロモン神殿から略奪してきた戦利品を運ぶ戦勝パレードの様子が描かれています。 |
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コンスタンティヌスの凱旋門。 312年のミルヴィオ橋の戦いでの、コンスタンティヌスのマクセンティウスに対する勝利を祝って315年に元老院とローマ市民が建てたものです。高さ約28メートルのこの凱旋門はローマで最大のもの。 レリーフはマクセンティウスに対する勝利の場面も描かれていますが、マルクス・アウレリウス帝の勝利の模様や、トラヤヌスのフォロにあったドミティアヌス帝のアーチを飾っていたダキアの捕虜像など、大部分はほかの建造物から持ってこられたものです。 |
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そして行き着いた先はコロッセオ。 Tutte le strade portano a Roma.「すべての道はローマへ通ず」の「ローマ」とはフォロ・ロマーノのことです。「フォロ・ロマーノ2」に載せているように、ローマ帝国内の幹線道路にはフォロ内の「金のマイル表示石」までの距離が示されていたのでした。 しかし、フォロ・ロマーノで2000年以上の人類の歴史をこれでもかと見せつけられて、ここがどこなのか、今がいつの時代なのか、なにやら時間感覚がおかしくなってしまったようです。 今回ローマを歩き回っていたときになぜかいつも行き着いた先はコロッセオ。「私にとってはすべての道はコロッセオに通ず」だったな、などと歴史の重みに圧倒された頭でぼんやりと考える管理人でした。 |
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