サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会 3


引き続き「聖母マリアの生涯」の中の「神殿における奉納」の場面です。

これは、キリストが生後40日目にモーゼの律法に従ってエルサレムの神殿にお宮参りをしたときのシーンです。
信仰篤いシメオンという老人が聖霊に導かれて神殿にやってきて、キリストを抱かせてもらっているところ。その後ろにいる女性はやはり信心深いアンナという老婆で、2人とも救い主の出現を待ち続けていたその祈りが神に通じたのです。

   

「眠り(死)」の場面。亡くなったマリアが天使や聖人、キリストほか、多くの人に囲まれています。
この上には、預言者エレミヤの姿が見えます。さらにその上には四福音書記者の象徴として、聖ルカの子牛、聖ヨハネの鷲が描かれています。

ちなみにこのアーチの反対側の部分には、預言者イザヤとさらにその上には聖マルコのライオンと聖マタイの人間のような顔を持った象徴も描かれています。(小さくて少々見にくいですが、「サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会・2」の一番上の写真から全体像がおわかりいただけると思います。)

   

これは、この教会を再建した教皇インノケンティウス2世が聖ペテロ(教皇の頭に手を置いている)と聖パオロに囲まれて、聖母子に祈っている姿です。(通常寄進者は、聖人よりもかなり小さめに慎み深く描かれます。)
ここからもこの教会が聖母マリアに捧げられたものということがよくわかります。

教皇の出身のパパレスキ家の紋章とともに、ラテン語の碑文には教会再建の経緯などが書かれているものと思われます。

   

金箔に彩られた豪華な格天井は、17世紀に枢機卿ピエトロ・アルドブランディーニの命により、ドメニコ・ザンピエーリ(ドメニキーノ)が制作したものです。

これは二人の天使に支えられた「聖母被昇天」の木像彫刻(17世紀作)です。
このほか、ドメニキーノ作の「聖母被昇天」の絵も描かれており、この教会のテーマがここにも見て取れます。

   

教会の側廊などの壁や床には、教会ゆかりの人の墓や廟があります。

右側奥の墓は、紋章から教皇インノケンティウス2世のものとわかります。

   

教会内の「アルテンプスの礼拝堂」の祭壇上には、7世紀の「クレメンツァ(慈悲)の聖母」という等身大のイコンがあります。
かなり傷んでいますが、それがかえってこのイコンの古さを物語るとともに、やはりビザンチンの文化はここローマで生き続けていたのだということが感じられます。

なお「アルテンプスの礼拝堂」は、16世紀のトレントの公会議を最終的にとりまとめた教皇ピウス4世の甥で、この教会の名義所有者であった枢機卿マルコ・アルテンプスの命により、マルティノ・ロンギ・イル・ヴェッキオによって造られました。
礼拝堂内には、パスクァーレ・カティによる「トレントの公会議におけるピウス4世」のフレスコ画が2枚あります。

   
4世紀初めの創建以来、幾たびもの再建や修復を経て現代に生き続けるこの教会。
古代ローマ神殿の石柱の再利用、7世紀のイコン、12世紀のモザイクやコズマーティ様式の床、そして17世紀バロック期の格天井など、まさにローマという街の歴史と文化そのものを象徴するような気がします。

なんといってもここでの見どころは12世紀のモザイクです。
19世紀までの電気のない生活を送っていた人々は、薄暗いろうそくの灯火の下から内陣を見上げて、神の国のイメージをそれぞれが思い描いていたことでしょう。
現代に生きる私たちは、まずは先人たちに倣って神秘的な薄暗さの中からしばし見た後は、照明器具に小銭を入れて、まさに黄金に輝く荘厳な一大絵巻を心ゆくまで堪能してください。

   

「サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会 2」

   

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