サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会 1


「テヴェレ川の向こう」のトラステヴェレ地区は、ローマの先住民であるエトルリア人が住んでいたという、非常に古くからある地区です。今も庶民の生活感を感じることのできる下町で、おいしいリストランテもたくさんありますが、物乞いの姿もチェントロよりも目立ちます。

そのトラステヴェレ地区の中心にあるのが、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会です。
ここは、教皇カリストゥス1世(在位217-22年)が建てた礼拝・集会所が起源と考えられ、その後、教皇ユリウス1世(在位337-57年)がローマ初の聖母マリアに捧げた教会を建てました。おそらく313年にコンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認した「ミラノ勅令」後のローマ最古の公認の教会と思われます。

教会は9世紀の教皇グレゴリオ4世時代に大規模に拡張・改修され、12世紀にこの地区の大地主であった教皇インノケンティウス2世が再建、さらに16-18世紀にかけて装飾が施され、今に至っています。

教会正面の壁はフレスコ画とモザイク画に覆われています。これは12世紀のもので、切り妻屋根のすぐ下の部分のフレスコ画は特に色あせてしまっていますが、今でも椰子の木や羊の絵を見ることができます。

   

フレスコ画の下には、ランプを持った聖女を両脇にそれぞれ5人ずつ従え、幼子キリストに授乳する聖母像がモザイクで描かれています。ランプの火は純潔を表しますが、2つの火の消えたランプを持つのは未亡人と考えられています。
「授乳の聖母」は、原形はエジプトから来たとも言われ、聖母子像の中でも最も古いモチーフとされています。
   

ロマネスクの鐘楼も12世紀のものです。写真では見にくいですが、てっぺんには聖母子の小さなモザイクがあります。

   

教会内部は三廊式で、側廊と身廊を仕切る両脇の列柱と軒蛇腹が、バジリカ式の初期キリスト教会の雰囲気を伝えています。
   

22本の円柱は、12世紀の教皇インノケンティウス1世時代の再建の時に、カラカラ浴場などの古代ローマの遺跡から持ってこられたもので、柱の太さ、大理石の色・質、柱頭の装飾もそれぞればらばらです。

たとえば柱頭は、左の写真に見るようにイオニア式(左)とコリント式(右)が混在していますし、台座の部分も、写真右のように彫刻が残っているものや何もないものなど、いろいろです。特にこの台座は、ほかの円柱と比べて長さが微妙に足りなかったらしく、台座の下にさらに大理石を置いて調節をしています。

これら1本1本の円柱は、もともとどこかの神殿や建物を飾っていたのかと思って見ているだけでも、ローマという街の重ねてきた遙かな時間に思い至り、自分がどこにいるのか、今がいつなのかがわからなくなってくるような、不思議な感覚にとらわれます。

   

床は12世紀のロマネスクの教会ではおなじみの、コスマーティ様式の装飾が施されています。

内陣を仕切る柵の一部には「油の泉」と書かれていますが、紀元前38年にこの場所から突然「燃える水=油」が吹き出しテヴェレ川まで流れたことを、救い主出現の前触れだとして喜んだ人々がここに礼拝堂を建てた、という言い伝えによるものです。

   

「サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会 2」

   

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