サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 1


   

ローマの北の入り口、ポポロ門(フラミニア門)を入ってすぐの左手にサンタ・マリア・デル・ポポロ教会はあります。

伝説によると、この場所には皇帝ネロを埋葬するドミティアヌス家の墓があり、そこに生えているクルミの木に悪魔が住みついていると人々に恐れられていました。そこで教皇パスカリス2世は、夢に現れた聖母マリアのお告げ通りにクルミの木を切り倒し、ネロの遺体を焼いてその遺灰をテヴェレ川に流したところ、それ以後悪魔は現れなくなりました。それを感謝して1099年にパスカリス2世が聖母マリアに捧げる教会を建てたのが、この教会の始まりと言われています。
建設資金を市民(popolo)が負担したので、サンタ・マリア・”デル・ポポロ”と呼ばれているのです。

教会は13世紀初期に再建され、さらに1472年にローヴェレ家出身の教皇シクトゥス4世により再度再建されて、現在見るような簡素にして明解なルネサンス様式の教会となりました。

教会の格としてはローマでは7大聖堂に次ぐもので、1625年の聖年のときには城壁外で疫病が流行ったために、サン・セバスチャーノ教会の替わりを務めたこともあります。

 

教会の内部は三廊式になっています。後にベルニーニによってバロック風の装飾が加えられましたが、ラテン十字形の平面プラン、身廊の天井の交差ヴォールト、翼廊の両端の円形の礼拝堂など、ルネサンス的色彩は強く残っています。
 

 

正面入り口から入ってすぐの右側には、教皇シクトゥス4世の実家・ローヴェレ家の礼拝堂があります。

そこにはピントゥリッキオによる有名な「幼子キリストの礼拝」が描かれています。

 

さすがに教会再建のスポンサーの実家の礼拝堂とあって、天井までびっしりと聖母子伝で飾られています。これらはすべてピントゥリッキオとその弟子たちの手になるものです。

チェラージ礼拝堂にはカラヴァッジォの「聖パオロの改宗」と「聖ペテロの逆さ磔」の名画があるのですが、修復中、あるいは時間制限付きの照明がいくらコインを入れてもつかなかったため、残念ながら鑑賞できませんでした。

チェラージ礼拝堂にあるカラヴァッジョの「聖ペテロの逆さ磔」。

皇帝ネロによるキリスト教弾圧の中、ローマを脱出したペテロはアッピア街道でキリストに遭い、ローマに再び戻って処刑されることになりました。
キリストと同じ形での処刑を拒み、逆さ十字にかけられることを希望したと言われています。

十字架を逆さにする必死の努力をドラマチックに強調するため、短縮法が用いられています。(写真提供:稲穂さん)

 
同じくチェラージ礼拝堂のカラヴァッジョ作「聖パオロの改心」。

ローマ市民であり、キリスト教徒の猛烈な迫害者であったパオロが、ダマスカスへ行く途中で強い光に打たれ、「サウロ、サウロ(パオロの元の名前)、なぜ私を迫害するのか」というキリストの声を聞いて地面に落ちた瞬間をドラマチックに描いています。

このときパオロは改心し、大伝道師としてローマ帝国各地を旅して、キリスト教を広めることになりました。(写真提供:稲穂さん)

   

「サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 2」

   

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