サン・パオロ・フォリ・レ・ムーラ大聖堂 1 |
キリストの弟子・パウロは、現在のローマのエウル地区にあるトレ・フォンターネ修道院の地で斬首され殉教しましたが、遺体はローマの南部郊外に埋葬されました。4世紀にコンスタンティヌス帝がこの墓の上にバジリカを建立したのがこの「市壁外の聖パウロ大聖堂」のはじまりです。 その後何度も拡張・改修が行われ、現在のサン・ピエトロ大聖堂が建立されるまでは、1000年以上に渡ってキリスト教世界最大の美しい教会となりました。9世紀には教会の周りに城壁が巡らされ、城壁内には町も発達していました。そして各地からたくさんの巡礼者を集めていたのです。 しかし、残念なことに1823年7月15日木造の天井から出火し、二晩かかって正面の一部、横断アーチ、交差廊、中庭を残してほぼ全焼してしまいました。 建物正面にはペテロとパウロを従えたキリスト、天国で遊ぶ子羊たち、そしてイザヤ、ダニエル、エゼキエル、エレミアの4人の預言者のモザイク画があります。このモザイク画は14世紀前半にこの正面のモザイク画を描いた時に使われたモザイクのかけらを焼失後に拾い集めて作られました。 聖堂前の回廊は19世紀末から20世紀の初めにかけてつけ加えられた、非常に新しいものだそうです。ローマの青空に映えるシュロの木とやはり19世紀末に作られた頭巾を被り剣をかついだ聖パウロの像は、なにやら南国のような不思議な異国情緒を醸しだしています。 |
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ここ、サン・パウロ・フォリ・レ・ムーラ教会はサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会、サンタ・マリア・マッジョーレ教会と並ぶローマの4大バジリカの1つ。 この4つの教会は今でもヴァチカン、つまりローマ教皇領に属し、それぞれの「Porta Santa(聖なる扉)」はローマ教皇によって聖年の間だけ開かれています。そして4大バジリカの聖なる扉をくぐれば罪の免償が得られる、と言われています。 しかし、これは当然キリスト教徒に限っての話であって、異教徒にはなんのご利益もないはず。とは言え、今回の旅行では4大バジリカすべてのPorta Santaを制覇してしまいました。だって4大バジリカはどこもポルタ・サンタしか扉は開いていなかったんですもの。 ブロンズの扉自体はとても古いもののようです。これは「さかさ十字」にかかった聖ペテロの殉教の様子です。 |
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教会内部は1つの身廊と4つの側廊に分かれた5廊式の非常に広い空間となっています。この内部構造は4世紀の創建当時と同じ作りです。当時の人々はこの広大な空間に圧倒されたことでしょう。堂内には光がたくさん入り、荘厳な中にも明るい雰囲気が満ちています。 正面の「勝利の門」は4世紀末のテオドシウス帝の娘ガッラ・プラツィーディア(ラヴェンナにある霊廟で有名)の援助で作られました。 |
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後陣のモザイク画は教皇ホノリウス3世が13世紀にヴェネツィアの芸術家に描かせたものです。キリストが聖ルカ、聖パウロ、聖ペテロ、聖アンドレアに囲まれています。 | |
身廊の両側の壁面には、初代ローマ教皇聖ペテロから現教皇ジョヴァンニ・パオロ2世までの265人の歴代教皇の顔が描かれたメダリオンがズラリと並んで飾られています。 | |
これはオルガンです。 巨大なタンスと見まごう不思議な形をしたこのようなオルガンは、生まれてはじめて見ました。演奏者はどうやって登るのだろう、などとどうでもいいことを考えていた管理人です。 そこでとあるオルガンの研究をなさっている方にお尋ねしたところ、以下のようなお答えをいただきました。 「あれは<隠し扉>と呼ばれる、実は普通のドアが向かって右側の奥にあるのです。隠し扉と言っても、普通の扉で、壁と同じ色をしていて見分けがつかないだけなのですが。・・・・勿論、取っ手も隠れています。 19世紀のものということは、サン・パオロの再建後に設置された楽器ということになるようですね。 |
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