サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂・1


ラテラーノ地区は、もともとはローマ時代にこの地に住み、皇帝ネロにより財産を没収された富豪の名前から取られたものです。4世紀初めに、コンスタンティヌス大帝はここに自分の妃ファウスタの屋敷を建てましたが、キリスト教公認後、ローマ司教に土地を寄進しました。
ここはコンスタンティヌス大帝が最初に建てた記念すべき大聖堂で、「ローマ市及び全世界の教会の母及び頭」という称号が与えられ(現在もローマの司教座聖堂=カテドラル)、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂よりも格の高い、世界で最も権威のあるカトリック教会として君臨しています。
また、314年の教皇シルヴェステル1世の時代から1309年に教皇がフランスのアヴィニョンに移住するまで、1000年間に渡って教皇の正式な公館としてローマ教皇庁が置かれていました。写真右側のオレンジ色の建物がラテラーノ宮です。

このように建設の歴史はとても古いのですが、蛮族による掠奪、地震、2度の火災などによる破損や破壊、それに伴う改修や再建を何度も経て、また教皇庁のアヴィニョン移転などによりすっかり寂れてしまいました。
最終的には1650年の聖年を目指した大規模な改修工事がボッロミーニにより行われ、全体としてはバロック的な建物となっています。

   

これは聖年の時にだけ開かれるポルタ・サンタ(聖なる扉)。
2000年年末に訪れたときには、1000年に1度の大聖年が終わる直前ということで大混雑でした。
 

五廊式の教会内部の内陣の中央には、1367年に教皇ウルバヌス5世のためにジョヴァンニ・ディ・ステーファノにより作られたゴシック様式の聖体用祭壇があります。
   

この聖体用祭壇は教皇専用のもので、バルナ・ダ・シエナによる12枚のフレスコ画のパネルに覆われています。

祭壇内部には、聖遺物として聖ペテロと聖パオロの頭蓋骨の一部が収められています。

 

16世紀までは、大聖堂は4世紀の創建当時の建物の面影をかなり残しており、特にコスマーティ模様の床モザイクなどにそれが見て取れます。しかしあまりに老朽化が激しくなったため、前述のように1650年の聖年を機に、教皇インノケンティウス10世の命を受けて、ボッロミーニが内部を大幅に改修しました。

ボッロミーニは元来からのバジリカ式の建物の原形を保ちつつも、建築家としての才能を惜しみなく発揮しています。身廊の両脇に12使徒の像を配置し、それぞれの使徒たちの聖書のエピソードを像の上の浮き彫りで表すことにより、教会内部は躍動感にあふれる華麗なバロック風の内装で飾られました。

   

「サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂・2」

   

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