Le Fontane(噴水) 1


   

「噴水の街」とも言えるローマ。そのなかでも知らないものがいないのはこのトレヴィの泉(Fontana di Trevi)でしょう。

この場所は、もともとは紀元前19年に建造された「アクア・ヴェルジネ(処女の水)」と呼ばれた水道の放出口でした。ローマ帝国崩壊後の蛮族の侵入によって、他の水道同様、ここも破壊の憂き目に遭いました。
その後、ルネッサンス期以降の教皇たちの命によって何人もが噴水の建造を目指しましたが、最終的には、1762年にニコラ・サルヴィの両脇にトリトンを従えたネプチューンの像のデザインで完成しました。

フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』でのシーンでも印象的。
観光客が再訪を祈って肩越しにコインを投げ込むというのはあまりにも有名な「儀式」ですが、ごく最近から、噴水に投げ込まれたコインをローマ市が回収するようになったため、それまでコイン回収で生計を立てていた人々が商売上がったりということで市に陳情したなどというニュースもありました。

   

 

「羅馬に往きしことある人はピアツツア・バルベリイニを知りたるべし。ここは貝殻持てるトリイトンの神の像に造りなしたる、美しき噴水ある、大なる広こうぢの名なり。貝殻よりは水湧き出でてその高さ数尺に及べり。」とは森鴎外訳のアンデルセン『即興詩人』(1902年)の書き出しです。

バルベリーニ広場にあるトリトーネの泉(Fontana del Tritone)は教皇ウルバヌス8世の命によって1643年に造られました。
4頭のイルカに支えられた貝殻の上にトリトーネがひざまづき、ほら貝から水が吹き出ています。

 
共和国広場にあるナイアーディの噴水(Fontana delle Naiadi)。四方にナイアーディ(泉のニンフたち)を配し、中央で海神グラウコスが水を吹き上げる噴水は、1901年にマリオ・ルテッリによって完成しました。

 

 

サン・ベルナルド広場のモーゼの噴水(Fontana del Mose)。
本名のアックァ・フェリーチェの泉(Fontana dell'Acqua Felice)からもわかるように、ローマの都市再開発計画の推進者であった教皇シクトゥス5世が1586年に引かせたアックア・フェリーチェ水道の放出口として、ドメニコ・フォンターナがデザインしました。今でも清浄な水が流れています。

中央のモーゼ像は、プロスペロ・プレッシアーノまたはレオナルド・ソンマーニの作で、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会にあるミケランジェロのモーゼ像のコピーの失敗作ではないか、と言われているそうです。

両脇にあるレリーフも旧約聖書のエピソードから採られています。(写真提供:稲穂さん)

   

ナヴォーナ広場のネプチューンの噴水(Fontana del Nettuno)。最初は水盤だけが置かれていましたが、1878年のコンクールで、ネプチューン、海の精、キューピッドなどがつけくわえられました。

   

ナヴォーナ広場といえばベルニーニの代表作、4大河の噴水(Fontana dei Fiumi)でしょう。教皇インノケンティウス10世の命により、1651年に完成しました。
当時知られていた4大河であるガンジス川、ドナウ川、ナイル川、ラプラタ川の寓意像ですが、ナイル川だけは当時まだ水源が不明だったため、頭にベールがかぶせられています。

このベールは正面に立つベルニーニのライバル・ボッロミーニ建造のサンタニエーゼ・イン・アゴーネ教会を嫌ったからで、さらに片手をかざしておびえるラプラタの像も、教会が倒れることを心配したからだ、という通説もあります。
しかし、実際には教会は噴水よりも後に出来ているので、これは事実無根です。ボッロミーニファンである管理人としてはこのことを明記しておきます。(笑)

   

「Le Fontane(噴水)・2」