サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会・1


聖女チェチリアは3世紀、教皇ウルバヌス1世の頃にこの地に住んでいた裕福な貴族の娘でしたが、ともにキリスト教徒であった夫ヴァレリアヌスと一緒に捕らえられて殉教しました。はじめ蒸気による蒸し焼きで処刑されそうになりましたが、奇跡的に死ななかったため、斬首されました。230年の11月22日だと伝えられています。

遺体は当初サン・カリストのカタコンベに葬られましたが長い間忘れ去られていました。9世紀前半に聖女の遺体を発見した教皇パスカリス1世は、すでに5世紀からこの地に建っていた教会を建て直し、改めて聖女を地下礼拝堂に夫ヴァレリアヌスの遺体とともに埋葬しました。

12世紀には柱廊とロマネスクの鐘楼がつけ加えられ、その後も何度か改修されています。前庭の噴水には優雅なローマ時代のかめがあります。

   

内部は三廊式のバジリカ形式ですが、特に18世紀の改修によって、全体はバロック的な明るく白っぽい雰囲気になりました。

主祭壇の天蓋は1293年のアルノルフォ・ディ・カンビオ制作のものです。

   

1599年の修復の時に聖女の墓を開けたところ、遺体はパスカリス1世が再発見したときと全く同じ姿で横たわっていました。すなわち、金で縁取られた純白の衣装を身につけ、体を右に傾け、顔は布で覆われており、そして首筋には殉教したときの刀の傷がはっきりと見えるほどだったというのです。

このことは当時は奇跡だとしてローマ中の話題になり、聖年である翌1600年にステファノ・マデルノが聖女の遺体そのままのポーズを写した彫刻を作りました。

 

後陣には9世紀のモザイクがあります。キリストの右に聖ペテロ、聖ヴァレリアヌス、聖女チェチリアが、左に聖パウロ、聖女アガタ、そして教皇パスカリスが描かれています。
教会の模型を手にしたパスカリスの四角く青い後輪は、当時まだ生存していたことを示しています。
 

身廊左側から教会の地下に降りると、ローマ時代の住居の遺跡を見学できます。

ここはごく初期のキリスト教徒たちの礼拝所兼集会所のティトゥルス(名義教会)として用いられていたようです。
   

ローマ時代の遺跡を進んでいくと、突然地下礼拝堂が現れ、驚きました。ここは19世紀末にビザンチン風の装飾が施されたそうです。
   
チェチリアの夫ヴァレリアヌスがキリスト教徒に改宗し、家に戻ってくると素晴らしい音楽とかぐわしい花の香りに満ちた室内に天使が現れた、という言い伝えがあります。

そこから来たのか、チェチリアは音楽の守護聖人で、16世紀に創設されたローマの有名なサンタ・チェチリア音楽院もこの名にちなんでつけられました。毎年チェチリアの殉教した日と言われる11月22日にはこの教会で音楽会が催されるとか。
音楽好きだった知人も洗礼名にチェチリアを選んだということを思い出しました。

   

「サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会・2」

   

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