カピトリーニ美術館 1


ローマの7つの丘の1つカンピドーリオの丘は、古代ローマ時代にはユピテル(ジュピター)神殿があり、政治と宗教の儀式が行われたローマ帝国の中枢部でした。カピトリーノ(キャピタル=首都の語源)は、古代ローマ帝国の首都の中心、つまり文字通りの「世界の中心」だったのです。

ローマ帝国の滅亡後、蛮族の侵入によってカンピドーリオも一時さびれましたが、11世紀には再び市民の集まる場所となり、元老院が復活して以来、この国の政府は常にこの丘に置かれることになりました。
現在のローマ市庁舎もパラッツォ・セナトーリオ(写真つきあたりの塔のあるルネッサンス様式の建物)にあります。

交通量の多いヴェネツィア広場から見ると、向かって左から19世紀のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(写真左に一部写っている白い建物)、7世紀に建立されたサンタ・マリア・イン・アラコエリ教会、そしてゆるやかな階段つきの坂道・コルドナータを登り切ったところにある16世紀にミケランジェロが設計したカンピドーリオ広場と、いかにもローマらしい、歴史の重層性を感じるところです。

   

車が渦巻く喧噪のヴェネツィア広場を決死の思いで渡りきると、まるで別世界のような風景が待っています。
写真では少し小さくて見にくいかもしれませんが、コルドナータを登り切ると、両側に帝政時代の彫刻である双子のカストルとポルックスの巨像が迎えてくれます。

右の写真はコルドナータ下のライオン像です。ローマのイシス神殿跡(パンテオンの近く)で発見されたものをミケランジェロがここに置くことにしたとか。
なお、この写真は2001年9月29日撮影のものです。ご提供くださったパセリマンマさん、どうもありがとうございました。

   
ミケランジェロが設計した床の幾何学模様が美しい広場の中央には、哲人皇帝マルクス・アウレリウスの騎馬像のコピーが置かれています。(オリジナルはカピトリーニ美術館内にあります。)

この像は、キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝像と間違えられていたためキリスト教徒の破壊を免れました。
長い間サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂に飾られていましたが、16世紀にこの広場に移されてきました。
帝政ローマ時代のブロンズ像で唯一今日にまで伝わるものです。

 

カピトリーニ美術館は、正確にはパラッツォ・ディ・コンセルヴァトーリとパラッツォ・ヌオーヴォの2つの美術館からなっています。(チケットは両館通しで買えます。)

ここは入ってすぐ、コンセルヴァトーリ宮殿の中庭です。

4世紀のコンスタンティヌス大帝の巨像の一部が置かれています。この巨像はフォロ・ロマーノのマクセンティウスのバジリカ(別名コンスタンティヌスのバジリカとも言う)に飾られていたものです。

彫刻としての出来はそれほどでもないらしいのですが、ギョロリと見開いた眼と、とにかくばかデカいのがとても印象的です。

ちなみに比較のために立っている人物の身長は約140センチです。この像の大きさがおわかりいただけるでしょうか。

   
コンセルヴァトーリ宮の中には、かつてここにあったジュピター神殿のレリーフの一部などが飾られています。

   

これが有名なブロンズ像「カピトリーノの雌狼」です。ローマ建国の祖ロムルスと双子の弟レムスが雌狼の乳を飲んで育ったというエピソードを表しています。

当地にはその昔アルバロンガという王国があって、そこの王女に軍神マルスが一目惚れ。しかし王女はヴェスタ神殿の巫女だったため、当然のことながら父王の怒りを買って、生まれた双子のロムルスとレムスはテヴェレ川の畔に捨てられました。
そこを通りかかった雌狼に双子は拾われて育てられ、やがて兄弟げんかの末にレムスを殺したロムルスが国を作った、というのがローマ建国の伝説です。

狼自体はなんと紀元前5世紀初めの作品だそうです。しかし、ロムルスとレムスの像は15世紀の末にアントニオ・ポッライウォーロによてつけ加えられたものです。

この像は今でもローマの象徴で、地元のサッカークラブASローマのシンボルマークにもなっていることで有名ですね。

   

パラッツォ・ヌオーヴォへは地下の連絡通路を通って移動できます。この通路はどうやら最近出来上がった様子です。

通路には発掘で出てきた石棺やレリーフなどのさまざまな遺跡のかけらが無造作に置かれています。
   

「カピトリーニ美術館 2」

   

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