サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会


 

この教会は本堂は1608年カルロ・マデルノの設計により、ファサードは1626年G.B.ソリアにより完成しました。

創建当初は聖パウロに捧げられていましたが、どうして”ヴィットーリア”つまり「勝利」とついているのでしょうか。
新旧教徒間の30年戦争の最中の1620年、カトリック教徒側のハプスブルグ家のフェルディナンド2世が、プラハ郊外のピルセン城のゴミの中から聖母のイコンを発見、それを持って戦ったところ奇跡的にプロテスタント側を破ることができました。その勝利を記念し、聖母のイコンを納める教会として1622年に「勝利の聖母マリア教会」という名前になったのです。残念ながらイコンのオリジナルは1833年6月29日の火災によって消失してしまい、現在はコピーがあります。

   

それほど広くはない単廊式の教会内部は、漆喰、大理石そしてまばゆいばかりの金をこれでもか、とふんだんに使ったバロック様式で装飾されています。

主祭壇もご覧の通りのキンキラキン状態です。

くらくらしてきそうなほどの過剰な装飾に囲まれた教会内部ですが、正面入り口の上部のオルガンも有名です。奏者台の両側を下から支える柱の装飾には金ピカの騎士像が。(右写真提供:稲穂さん)  
   

この教会の最大の見所は、左側翼廊にあるヴェネツィアの名門コルナーロ家の礼拝堂にあるベルニーニ作の「聖女テレジアの法悦」です。
右手に黄金の矢を持った天使が、雲の上に全身を投げ出した聖女テレジアの襟を左手でつかみ、今まさに彼女の心臓を矢で射抜こうとしている瞬間を劇的にとらえた像です。
   

目を閉じ口を半開きにしたテレジアの表現方法をめぐっては、あまりにリアルな恍惚そのものの表情に対し、「聖女にあるまじき表情」「この像を教会から運び出せ」と論争の的になったほどです。しかし、これは聖女テレジア自身の自伝を忠実に表現したものなのです。
   

礼拝堂の両脇にはコルナーロ家の人々が4人ずつ、「聖女テレジアの法悦」の場面を覗き込んでいる像が置かれています。まるで劇場の桟敷席から、目の前で上演されている劇を見ているかのようです。
そして鑑賞者である我々はさらにこの劇中劇を見ているということになります。

このような劇的空間の演出方法こそが、バロック表現の神髄と言えましょう。

   

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