サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会


交通量の多い共和国広場に面したこの教会は、Basilicaという表示がなければ遺跡としか思えません。それもそのはず、ここはディオクレティアヌス帝が造らせた大浴場の中心部分をミケランジェロのプランをもとに建て直したものなのです。
この浴場は現在の共和国広場から500人広場の間の1ヘクタールほどの敷地に3000室(カラカラ浴場の2倍)という広大なものでした。

教皇ピウス4世に工事監督に任命されたときにはミケランジェロはすでに86歳の高齢だったため、教会の完成を見ずに亡くなりました。その後は何人もの手により整合性なく建設がずっと続けられましたが、最終的には18世紀の半ばにルイージ・ヴァンヴィテッリにより完成しました。

浴場の遺構の多くは隠されてしまいましたが、かつての大浴場の中心であったバジリカを建て直したので、内部は教会というより巨大な宮殿に入ったかのような錯覚をおぼえるそうです。
ミケランジェロのオリジナルのプランが一番活かされているのは正面の入り口だと聞いていたので、今回は内部にまでは入りませんでした。

それにしてもディオクレティアヌスと言えばローマ帝国で最後にして最大のキリスト教徒の迫害をした皇帝です。そしてローマの大浴場は円形闘技場での見せ物と並び、ローマ人の生活にはなくてはならないものでした。その皇帝が造らせた大浴場がキリスト教の教会に建て直されるとは、まさに運命の皮肉と言えましょう。

 

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