サン・ティニャーツィオ・ディ・ロヨラ教会


 

長旅の末、ようやくたどり着いたローマ。宿はヴェッキア・ローマと言われるローマの旧市街の一角、モンテチトリオ宮(イタリア下院)の真っ正面のホテルです。
古い建物を改築したイタリアのホテルによくある狭いエレベータに乗り、くねくねと迷路のような廊下を歩いて案内された部屋。そこは6階の一瞬屋根裏部屋か?と思ったところでしたが、ベルボーイのお兄ちゃんが開けてくれた窓から最初に飛び込んできたのがこの光景の夜景ヴァージョンです。「うわぁ、あのライトアップされた教会はなんて言うの?」との質問に「サン・ティニャーツィオ教会ですよ」と教えてくれました。

「サン・ティニャーツィオ?」最初はピンとこなかったのですが、よくよく考えてみるとイエズス会を創設したスペイン人「聖イグナティウス・ロヨラ」のイタリア語読みだったのですね。その右手奥にはイエズス会の総本部イル・ジェズ教会のクーポラが、左手奥には白いヴィットリアーノが見え隠れしています。

   

ここは1626年に枢機卿ルドヴィーコ・ルドヴィーシが前述のイエズス会の創設者イグナティウス・ロヨラを讃えて建設しました。
   
イエズス会総本部のイル・ジェズ教会と同様に、内部は色とりどりの貴石や大理石、金メッキなどで過剰なほど装飾されています。

また、この教会にはコレッジォ・ロマーノと言われるイエズス会が運営する学校が附設されていました。
未来の司教、枢機卿、教皇など、イエズス会内だけでなく、後にカトリック教会の中枢を担う多くの若者たちがここで学んだのです。

その中には、キリスト教弾圧が始まっていた江戸時代初期、ユーラシア大陸を何年もかけて横断しローマまでたどり着き、叙階されてコレッジョ・ロマーノで学び、禁教政策下の日本に舞い戻り、殉教したペトロ岐部なども含まれています。

   

この教会の一番の見どころの天井のだまし絵です。

ラテン十字の交差部の天井は、もともとはイル・ジェズ教会のようにクーポラが作られる予定だったのですが、その計画が実現しませんでした。

そこで、イエズス会士のアンドレア・ポッゾが直径17mのクーポラを描きました。大理石の細部にいたるまで詳細に描かれた完璧な遠近法によって、まるでそこに巨大なクーポラが実在するかのように思わせます。

   

内陣の天井には、同じくアンドレア・ポッゾにより世界4大陸での「イエズス会の布教の勝利」のフレスコ画が描かれました。
この総面積750平方メートルにも及ぶ天井画も遠近法を駆使し、あたかも天へと登っていくかのような錯覚を起こさせるものです。
   

ここは教会正面のサン・ティニャーツィオ広場です。教会よりも100年ほど後に作られた広場には、曲線やバルコニーを多用したロココ時代の中産階級の住居が並んでいて、とてもいい雰囲気です。
中央の建物は、現在はカラビニエーリ(軍警察)の詰め所となっています。この詰め所の真正面に立つと、3つの別々の建物があたかも一つの大きなパラッツォのように見えるのもまたおもしろい。

ちなみに建築家の板屋緑教授は、この広場こそ建物同士による「呼応するベクトル」を感じ取れる格好の場所だとおっしゃっていますが、見上げてもローマの高い青空が見えるのみ。「呼応するベクトル」は感じ取れない凡人の管理人でした。

この後何度もローマを再訪し、常宿となったホテルに到着する直前にサン・ティニャーツィオ教会前を必ずタクシーで通ります。するといつも、いよいよ旅が始まるという高揚感を感じるのでした。

 

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