サンタンジェロ城


サンタンジェロ城(聖天使城)はサン・ピエトロ大聖堂から歩いて10分くらいのところにあります。
ここは139年ハドリアヌス帝の霊廟として造られたものを、後に要塞や牢獄、さらに教皇の住居などに使い回してきた建物です。
写真はサンタンジェロ橋正面からのものです。ここから見るのがベストポジション。
橋の欄干には城の名前にちなんで天使の彫像がずらっと並んでいます。こういう芝居がかったことをするのは言わずとしれたベルニーニです。(ああ、ちょっとしつこい感じ。)
現在、橋上は物売りの巣窟と化しています。
   


この城が要塞に使われていた名残でしょうか。弾薬庫跡の庭に、石の砲弾が山と積まれています。

異変が起こると教皇はここに立てこもり防戦するのです。
砲弾の石は例によって古代遺跡から調達してきたらしいです。

   

通路はいかにも霊廟か牢獄という感じです。暗くてあちこちにくぼみがあり、「ああ、ここが牢獄だったのだろうか?」などと想像がいやがうえにも高まってしまいます。
この先に「アレッサンドロ6世の階段」と呼ばれる大きな階段があり、中心部へ通じています。その辺りはいかにも怪しげな雰囲気です。

   

城の上部に行くと教皇の居室がいくつかあります。

写真はパウルス3世が造らせた「パオリーナの間」。壁がだまし絵技法のフレスコ画に覆われていました。

   

サンタンジェロ城で魅力的なのは屋上です。ここからはローマを一望できます。
またサン・ピエトロのドームを最も美しく見ることができるのもここではないでしょうか。(写真上右)
よく見るとヴァチカンから一直線に通路がつながっているのがわかります。(写真上左)これはニコラウス3世が13世紀に造らせた通路で、有事の際には歴代教皇はここを伝って直接城に逃げ込み、籠城しました。
特にアレッサンドロ6世はこの城の補強に努め、そのおかげで1527年の「ローマの掠奪」の際にもクレメンス7世はここで何とか持ちこたえることができました。

城の周りには多角形の城壁が巡らしてありますが、これを完成させたのは16世紀のピウス4世です。ローマの地図で見ると函館の五稜郭に極めて似ています。
   

屋上にはこの城の名前の元となった大天使ミカエルの大きな像がそびえます。(レプリカ、本物は城の中)。
この像は590年ローマにペストが猛威を振るった際、教皇グレゴリウス1世の前にミカエルが現れてペストの終焉を告げたという伝説によって造られました。

歌劇「トスカ」では主人公がここのテラスからテヴェレ川に飛び込んで自害するということになっていますが、本当にそういうことをしたら、多分城壁の上に落ちるのが関の山でしょう。
   

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