リサイクル建築


異民族が侵入し帝国が崩壊したローマは、政治的な重要性はなくなり衰退していきます。とはいえ、「皇帝の町」から「教皇の町」へと移行し、宗教都市としての存在意義が次第に増大していくにつれ、教会などの改築・新築の必要性も出てきます。
当時は教皇庁も豪族たちも互いの政争に明け暮れ、遠方から石材を運搬する経済力も交易力も持ち合わせていませんでした。しかし、建設に必要な建材は、市内に無尽蔵に残る打ち捨てられた古代遺跡から調達することができました。
古代遺跡から建材を転用した建築物は市内のそこここに見受けられます。このような「リサイクル建築」をいくつか見てみましょう。

カピトリーノの丘の現在のローマ市庁舎を南のフォロロマーノ側から見ると、古代建築の公文書館(タブラリウム)上にそのまま建っていることがよくわかります。ここは中世には貯蔵庫や監獄として使われていました。

   

フォロ・ロマーノの中はある意味「転用建築」のオンパレードです。
141年に建築されたアントニヌスとファウスティーナの神殿は、11世紀に神殿の柱廊を組み込んでサン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会となりました。

 

 

トラヤヌスのフォロの市場の跡にも、13世紀に豪族が住み着いて、要塞トッレ・デッレ・ミリツィエとなりました。
このほか、マルケルス劇場も、中世にオルシーニ一族が開口部を塞ぎ、宮殿にしました。

いずれも豪族たちの政争の跡がうかがえる転用建築となっています。
(写真提供:稲穂さん)

   

パンテオン近くのピエトラ広場にあるハドリアヌス帝の神殿跡。

145年にアントニヌス・ピウスによって建設されました。現存する11本のコリント式列柱は、当時の神殿の左側面にあたります。

17世紀末にカルロ・フォンターナが神殿を利用して建物を建て、法王庁の税関として使われていました。現在もローマ証券取引所として、現役で使用されています。

 

教会の内部にも転用材が使われることも珍しくありません。

4世紀創建のサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会は、12世紀の再建時に21本の列柱はすべて直径も高さも不ぞろいな古代の円柱が再利用されています。

   

皇帝ネロが1世紀にアックア・クラウディアの支流として作ったネロ水道の一部。
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会のすぐ近くの、ごく普通の建物の上に残っています。(写真提供:稲穂さん)

   

サン・ピエトロ大聖堂のベルニーニ作のバルダッキーノ(天蓋)。
これはパンテオンの屋根を覆っていたブロンズをはがして鋳造し直したものなので、原形はとどめていませんが「遺跡のリサイクル」とも言えます。(写真提供:稲穂さん)

   
歴史が重層的に積み重なっているのがローマの街の特徴です。古代建築を再利用したり転用した建物は、数知れず。リサイクル建築を見ることによってもローマの歴史を実感するものです。
   

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