カンポ・ディ・フィオーリ広場


 

「花の野」という意味の名を持つ広場です。古代ローマの将軍ポンペイウスの愛人フローラの名前から来ています。もともとはカンプス・フローラ(フローラの広場)と呼ばれていました。

今では毎朝にぎやかなメルカート(市)が開かれることで有名です。

広場の真ん中には、1600年異端の罪でここで火あぶりにされた哲学者ジョルダーノ・ブルーノの像が建っています。
最初にこの像を見たとき管理人は、「何故こんなところにサヴォナローラが?」と思いましたが、似て非なるものです。(恥)
   
昔は広場のまわりに宿屋がならんでいたそうです。ルネッサンス期のボルジア家出身のローマ教皇アレッサンドロ6世の愛人で、高級娼婦だったヴァノッツァ・カタネイは、一時その多くを所有していました。ヴァノッツァは教皇との間にチェーザレ・ボルジアやルクレツィア・ボルジアなどの子をもうけています。
広場に通ずるペッレグリーノ通りの一角にヴァノッツァと夫、そしてアレッサンドロ6世の紋章で飾った楯が残る、ということですが、この紋章がそうなのでしょうか。それにしても夫と愛人の両方の紋章を一緒に飾ってしまうなんて、ちょっとすごくないですか?
管理人はボルジア愛好家のO-callさんの特派員として紋章とプレートの写真を撮ってきましたが、プレートの方はラテン語なので、「教皇アレッサンドロ6世」と「1497年」という年号しか判読できません。
O-callさんによると、「このペッレグリーノ通りを偉大なる教皇アレッサンドロ6世が造った」という趣旨ではないか、とのことです。

この写真を撮っていたら、地元のおじさんが「ルクレツィア・ボルジア〜!」と一言声をかけて立ち去っていきました。やっぱり地元でも有名なのですね。

   

「花」という名前から最初は花市かと思っていたのですが、主流は野菜を売る屋台です。あと肉、香辛料、魚等食材を扱う屋台が少々あり、花を売っている屋台は(確認した限りでは)ひとつだけでした。
ここで売られているローマの野菜や果物は本当に色とりどりで、どこを撮っても絵になりそうです。
   

これは香辛料を売っている屋台の店先。

オレガノやバジルといった基本的な香辛料のほかに、パスタメニューごとに細かく分けられた香辛料がありました。

眺めているとおじさんが出てきて、「これはカルボナーラ用、こっちはボロネーズ用、これはペペロンチーノ用、パスタにかけるだけでOK」といろいろ教えてくれました。ある意味インスタント食品ですねえ。

買って帰りたかったけれど何を買っていいか判らなくて、結局何も買わなかった。
ごめんね、おじさん。

   

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