サン・クリソゴーノ教会


テヴェレ川にかかるガリバルディ橋を渡ってすぐ、プラタナス並木のヴィアーレ・ディ・トラステヴェレに面したソンニーノ広場に一目見てそれとわかるロマネスクの鐘楼のついた教会があります。

4世紀にアクィレイアで殉教した聖クリソゴーノに捧げられたこの教会は、5世紀のティトゥーリ(初期キリスト教時代の礼拝所として使われた個人の家)であったクリソゴーノの家が起源となっています。現存の教会の地下には8世紀と11世紀の教会の跡が残っています。

ロマネスクの鐘楼は12世紀のもので、17世紀の修復の時にてっぺんのとんがり屋根が取りつけられました。17世紀の修復は、当時の筆頭枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼがスポンサーだったため、ファサード上部にはボルゲーゼ家の紋章であるワシが飾られています。

ファサード及び全容(写真右)は、トラムも通る交通量の多い通りから撮ることはできなかったため、教会のパンフレットによるものです。

   

内部は三廊式で、コズマティ模様の美しい床は12世紀のものです。
身廊と側廊を仕切る22本の列柱は、セッティミアーネ大浴場やカエサルの模擬海戦場の遺跡から持ち込まれたものです。
 
金箔の張られた見事な木製の格天井には、ここには写っていませんが、中央に「聖クリソゴーノの栄光」の像のコピー(本物は19世紀初頭に盗まれて英国にある)とボルゲーゼ家の紋章があります。

   

後陣には13世紀のカヴァッリーニまたはその一派によるモザイクがあります。

 

どちらがどちらなのかはわかりませんが、聖クリソゴーノと聖ジャコモに囲まれた聖母子の姿です。

   

左の側廊に福者アンナ・マリア・タイジの礼拝堂があります。18世紀の後半にシエナで生まれた福者は、その人徳から「良妻賢母の鑑」と崇められているようです。(写真はパンフレットより)

が、なぜわざわざここでご紹介するかというと、礼拝堂中央には、福者アンナが死後そのままの姿で眠っているガラスの棺が安置してあるからです。(さすがに福者の棺の写真撮影は遠慮してきました。)

遺体が腐らないでそのままであることは、カトリックでは「奇跡」であって、聖人やその前段階の福者として認められるための条件の一つとなっています。

   
ガリバルディ橋を渡ると、急にローマの下町の雰囲気がプンプンしてくるのがこのトラステヴェレ地区です。
かつてのツアー旅行では「トラステヴェレにはおいしいリストランテがたくさんありますが、とにかく危険な地区なのでタクシーを店の前に横付けしてもらって、決して外は歩かないように」などとさんざん脅されました。
実際に物乞いの姿はチェントロよりも多いように感じられましたし、建物の年季の入り方も整然とした対岸とは対照的で、昔ながらの生活が残っているようです。

しかし、初期キリスト教時代に起源を持つ魅惑的な教会がいくつも路地裏にたたずんでいます。
サン・クリソゴーノ教会の訪問は1回目はミサ中、2回目は修復中、3回目になってやっとゆっくり見られました。いずれ地下の教会の遺構なども訪ねてみたい、と早くも次回の宿題を抱えている管理人です。

   

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