チヴィタヴェッキア 日本聖殉教者教会 1 |
ローマから電車で1時間少々、別荘地などを窓外に見ながらフィウミチーノ空港よりもさらに北上すると、サルディーニャ島へのフェリーや、地中海クルーズの大型船の発着する港町チヴィタヴェッキアに到着します。 日本人観光客が訪れることはほとんどないこの町の駅のすぐそば、ローマとジェノヴァの間を結ぶ古代ローマ時代からの幹線道路の1つアウレリア街道沿い、ティレニア海からも1本道を隔てただけのところに日本聖殉教者教会があります。 この教会は1862年に日本の二十六聖殉教者を記念して建てられました。第二次世界大戦の時に、チヴィタヴェッキアは激しい空襲を受け、教会もひどい被害を受けましたが、終戦後すぐに再建され、今日に至っています。 この教会には二十六聖殉教者をテーマに、1951年から1957年までの年月をかけて、日本人画家・長谷川路可によるフレスコ画が描かれています。 日本二十六聖殉教者とは、日本におけるキリスト教の最初の殉教者たちのことです。 長谷川路可は1897年東京に生まれ、1914年に受洗し、洗礼名はルカ(画家の守護聖人の名前)と名乗りました。1921年に東京美術学校日本画科を卒業、その後1927年までフランスに留学します。 なお、長谷川路可画伯は管理人の遠縁にあたります。 |
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後陣の天井には桃山時代の衣装に身を包んだ聖母マリアと朱色の袴を着けておかっぱ頭の幼子キリストが描かれています。 聖母の向かって左には日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエル、向かって右にはアッシジの聖フランチェスコの姿があります。 |
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ここはフランチェスコ会の教会なので、会の創始者、アッシジの聖フランチェスコも描かれています。 聖人の足下にあるのはアッシジの町、そして向かって右下にはチヴィタヴェッキアの町と日本聖殉教者教会が見られます。 |
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